国境なき刑事弁護団

ブエノスアイレス事件

  1. 事件の経過
    2008年2月15日ブエノスアイレスのエセイサ空港で逮捕
    3月保釈される
    国選弁護人を解任し、日系の女性弁護士を弁護士として選任
    3月7日起訴
    2009年2月弁護団に連絡が入る
    9月20日〜26日弁護団がブエノスアイレスへ向かう
    10月7日第1回公判
    10月19日第2回公判 無罪判決
  2. 事件の概略

     本件の当事者A氏は、希少昆虫の収集・研究家でした。A氏は、アルゼンチンに生息する希少昆虫を収集し、日本に運ぶために、アルゼンチンに入国しました。現地では、希少昆虫の輸出入等をしているというパブロという人物と接触し、パブロから希少昆虫と共に、それをアルゼンチン国外に持ち出すための許可証を入手しました。A氏は、現地の公用語であるスペイン語は全く話せませんでしたが、パブロとは日本にいるときから、メールで数回やり取りをし、パブロ自身が昆虫の収集家であり、雑誌に記事も載ったことがあるなどの話を信じ、パブロを信頼して、この取引を行いました。A氏は、アルゼンチンの行政手続き等にも通じていませんでしたから、パブロからもらった希少昆虫の持ち出し許可証の真偽を疑うこともしませんでした。
     そして、2008年2月15日、A氏が、ブエノスアイレスの空港で、希少昆虫を国外に持ち出すために税関で、パブロからもらった持ち出し許可証を提示したところ、当該許可証が、偽造書類であるとして、A氏は、逮捕・勾留されてしまいました(日本でいう、公文書偽造及び同行使)。

  3. 弁護団に連絡があるめでにA氏の身に起こったこと

    (1)国選弁護人による保釈活動の成功

     A氏の逮捕後、A氏には、国選弁護人が選任されました。後で判明しますが、この国選弁護人が、ブエノスアイレスの弁護人の中でも特に優秀であり、ブエノスアイレス大学法学部の教授テデスコ氏でした。
     テデスコ氏の活躍により、A氏は、無事に保釈が認められました。しかしながら、保釈の条件としてブエノスアイレス市内に行動及び居住が制限されました。

    (2)私選弁護人の選任

     A氏にとって不運だったのは、国選弁護人に付き添っていた刑事法廷通訳人の日系人の存在でした。この通訳人が、A氏に対して、自分の娘は、日本語も分かるし優秀な弁護士であるので、娘に弁護を依頼するよう促しました。言葉の通じない国において、日本語で弁護を受けられることの利便性が彼にとってどれほどありがたい申出だったかは、想像に難くありません。A氏は、この通訳人の言葉を信じ、国選弁護人を解任して、私選弁護人として、この通訳人の娘である日系3世の女性弁護人を選任しました。この時に、A氏が支払ったお金は、日本円で200万円でした。アルゼンチンでの年収1年分に相当する金額です。もちろんA氏は、決して裕福ではなく、このお金は、日本にいたA氏の妻が、必死の思いで親戚中からかき集めたお金でした。
     しかし、この私選弁護人は、A氏から200万円を受け取るやいなや、無罪をとるのは無理だと言いだし、A氏に罪を認めるよう促し、A氏が求めても本件事件の手続や弁護方針の説明等をしなくなりました。

  4. 弁護団の活動

    (1)ブエノスアイレスに行くまで

     A氏の妻から、弁護団一人に本件についての連絡が入り、弁護団が、日本にいるA氏の妻及び両親と面談し、事件を受任することになりました。その後、数か月間にわたり、メール等でA氏と直接やり取りをし、状況の把握、裁判記録の入手・検討を行いました。
    また、弁護団から、上記日系の私選弁護人への接触を試みましたが、上記私選弁護人は、日本の弁護団の介入を避けているようであり、連絡はなかなか取れず、結局、弁護団がブエノスアイレスに行くまでの間に、私選弁護人と事件について実質的な話をする機会は得られませんでした。
     しかし、ブエノスアイレスに行くまでの間に、上記テデスコ氏と連絡をとることができ、A氏の現状の説明と現地での面会約束ができました。さらには、現地の大使館及び日本人協会等とも連絡をとり、現地での弁護団の活動の下準備を整えました。
     弁護団は、この間の活動で、A氏の無罪を立証することが可能であるとの感触を深め、ブエノスアイレスに向けて出発しました。

    (2)ブエノスアイレスにて

     ブエノスアイレスでは、A氏と面談し、滞在期間中の活動予定等を協議しました。その後、上記ブエノスアイレス大学教授のテデスコ氏とブエノスアイレス大学内で面談し、本件事件について説明、協議した上、A氏及び弁護団としては、私選弁護人を解任する方針であること、その際には、テデスコ氏に再度、弁護人になってもらうか、別の信頼できる弁護人を紹介して欲しいことを依頼し、了解を得ました。
     弁護団は、日系の私選弁護人に面会し、裁判の方針等詳細を尋ねました。しかし、私選弁護人は、A氏が、昆虫の持ち出し許可証が偽造文書であることを知らなかったこと(故意がなかった)ことを立証するというものの、その具体的な方法は定まっておらず、証拠の検討も極めて不十分なものであるとの印象を受けました。弁護団及びA氏は、この面談の結果、私選弁護人を解任することを決断しました。
     さらに、日本領事館にも面談を申し入れ、在アルゼンチン日本領事館の公使と面会し、A氏の現在の状況の説明、日系通訳人の紹介・整備体制等の申し入れ、支援のお願い等をしました。
     また、在アルゼンチン日本人会の代表らとも会合を持ち、本件事件についての説明と協力を要請しました。日本人会の方々は、本件事件を全く知りませんでしたが、事情を理解し、支援を約束していただきました。また、現地の日本人通訳人の現状、領事館で得た情報の補足等をいただくこともでき、これらの情報により、極めて日本語の堪能な、人柄も良い、新たな日系通訳人を見つけることもできました。日本人会は、数日後には、ラプラタ通信というコミュニティ誌で、A氏の事件を取り上げ、裁判の傍聴を呼び掛けてくれました。
     このような活動を経て、私たちは、私選弁護人を解任し、テデスコ弁護士の紹介で、テデスコ氏の友人のブエノスアイレス大学の法学部教授が、新しくA氏の国選弁護人に就任することとなりました。そして、弁護団は、この新弁護人と面会し、本件の要点を説明し、裁判で強調して主張すべき点について、話し合いました。
     このように、弁護団は、ブエノスアイレスに滞在できたのは、4,5日でしたが、できうる限りの事をして、帰国しました。

  5. その後の経過

     10月7日、第一回公判が行われ、検察側証人5名が証言しました。新しい弁護人は、A氏が、偽造文書であることを知らなかったことを主張し、無罪を主張しました。第1回公判には、日本人会の呼び掛けにより、日系人の傍聴者が、裁判を傍聴してくれました。
    第2回公判は、10月19日に行われることとなり、その時に、検察官の論告求刑と弁護人の弁論がなされ、即日判決が下されることになりました。
    そして、第2回公判で、何と、検察官が無罪を求刑しました。その結果、A氏には、無罪判決が下されました。

    (報告者 弁護士 川﨑真陽)