国境なき刑事弁護団

メルボルン事件

  1. メルボルン事件とはー麻薬の運び屋にされた5人の日本人

     1992年6月、日本人7名が、成田空港から、クアラルンプールを経由して、オーストラリア旅行に旅立った。クアラルンプールで、4名の旅行用カバンが盗まれた。翌日、中国系マレーシア人のガイドが、ズタズタに切り裂かれたカバンを発見し、彼らに代わりのスーツケースを手渡した。4名(男性3名、女性1名)は、このスーツケースを持ってオーストラリアに向かった。到着したメルボルン空港にて、4名のスーツケースから大量のヘロインが発見された。スーツケースは2重底になっており、そこにヘロインが隠されていたのである。直ちに、スーツケースを持っていた4名とツアーのリーダー格の男性は、身柄を拘束され、取調が始まった。彼らは、捜査、公判をつうじて一貫して身に覚えがない、と身の潔白を主張したが、結局、ツアーリーダーに懲役20年、4名に懲役15年の判決が下され確定した。

    (メルボルン事件の経過)

    1992 6.157人グループが成田空港を出発
    6.15夕方クアラルンプールでスーツケースが盗まれる
    6.17メルボルン空港で4人のスーツケースからヘロインが発見される
    6.17~6.19一行は、警察により、ホテルで軟禁状態となる
    治安判事裁判所(マジストレート・コート)の審理
    * この辺りから、オーストラリア人のリーガルエイドの弁護士が1人ずつに付いた
    19943.24ヴィクトリア州県裁判所(カウンティー・コート)の審理が始まる
    6.105人に有罪判決が下る
    199512.15州最高裁判所への控訴棄却
    19976.6連邦最高裁判所への上告却下(4人)
    * この月に、山下、亡堀田教授・田中が初めて現地で5名と面会し、帰国後直ちに弁護団を結成した
    19989.22個人通報の申立(4人)
    19999.30連邦最高裁判所への上告棄却(ツアーリーダー)
    200211.74名の日本人が、仮釈放され10年ぶりに帰国
    20065.12ツアーリーダーが、仮釈放され14年ぶりに帰国
  2. 弁護団の活動ー個人通報制度の活用

     1998年、弁護団は、メルボルンの刑務所を訪れ、5名と面会し、本事件が、えん罪事件であり、えん罪を生んだ最大の原因は、通訳に問題があったことであることが分かった。すなわち、5名の日本人は、英語が話せず、通訳の役割が期待されたが、捜査・公判を通じて、通訳の能力は十分ではなかったため、彼らの訴えが捜査・公判において、裁判官、弁護人に伝わることなく、十分な攻撃防御ができなかったのである。
     以上の事実は、まぎれもなく、国際自由権規約が定める刑事手続に反し、公正な裁判を受ける権利の違反であった。自由権規約に違反して人権を侵害された場合、第1選択議定書を批准している国(締約国)の行為によって人権を侵害された者であるならば、国籍を問わずジュネーブにある自由権規約委員会に個人通報し、侵害された人権の回復を求めることができる。そして、自由権規約委員会が、人権侵害の事実を認めた場合、締約国に対し、勧告を出して、人権侵害の是正を求めることができる。日本は、国際人権規約は批准しているが、第1選択議定書を批准していない。メルボルン事件の5名は、日本国によって人権が侵害されたのであれば個人通報はできないが、彼らの場合、オーストラリアの刑事手続上、人権が侵害されたものであり、オーストラリアは第1選択議定書の批准国であったため、彼らは個人通報者になり得た。1998年9月22日、42名の弁護士が申立代理人となって、個人通報を行った。かくして、メルボルン事件は、日本人が初めて個人通報を行った事件となった。

    (個人通報をめぐる経過)

    19989.22個人通報の申立(ツアーリーダーを除く4名につき)同日受理
    20018補充報告書及び陳述書(5名及び事件関係者2名につき)等資料(英文138㌻)提出
    その際、ツアーリーダーに対する個人通報追加
    20047.28オーストラリア政府が規約人権委員会に反論書(英文72㌻)提出
    9.27弁護団がオーストラリア政府からの反論書受領
    200512.26オーストラリア政府に対する再反論書(英文39㌻)提出
    12.29規約人権委員会再反論書受領
    200610規約人権委員会で審理
    11.7申立却下決定
  3. 規約人権委員会の結論

     昨年11月7日、規約人権委員会において審理の結果、日本人5名の申立は、却下となった。その理由は、以下のとおりである。
     個人通報の審査は2段階に分かれる。第1段階が、許容性審査であり、手続的要件である。許容性審査がクリアーできれば、次に実体審査が行われ、人権侵害の有無が審査される。許容性審査の中で重要な要件として、「国内的救済手段を尽くしていること」が必要である。メルボルン事件の場合、国内的救済手段を尽くしていない、ということで却下となった。その理由は、日本人5名には、弁護人も付いており、通訳に不満が有れば、法廷の中で主張できたはずである。実際、法廷で通訳の問題が指摘されたのにかかわらず、5人の控訴理由には通訳の問題が触れられていなかったので、国内的救手段は尽くされていないということであった。
     しかし、この委員会の理由には、全く納得できない。
     というのは、5名は、英語を理解できないのであるから、通訳がどの程度正確に通訳しているか否か、正しく判断できない立場にある。まして、外国の刑事手続に置かれることも初めてなのである。また、弁護人としても、通訳の日本語部分が正確か否かについては、正しく理解することは不可能である。裁判時に、少しでも通訳がおかしいと感じたのであれば、控訴、上告まで争わなければならないというのであれば、通訳が問題になった刑事事件のほとんどが、審査の対象外となってしまうであろう。
     メルボルン事件の場合、現実に、通訳の質の低さが明確になったのは、日本の弁護団が、現存する取調を録音したテープ・ビデオをすべて翻訳した結果(英語は日本語に、日本語部分は英語に)明らかになったのである。法廷に臨んだ、当時の弁護人、被告人は誰も翻訳の決定的な不備に気づいてはいなかったのである。ところが、規約人権委員会は、「何となく通訳がうまく行っていないと被告人本人らが感じていたのであれば、この点を控訴理由に掲げるべきだった。」として、通訳の問題に立ち入ることなく、申立を却下したのである。規約人権委員会は、このような形式論で門前払いにしたわけであるが、これでは通訳問題を個人通報で争うことはおよそ不可能であろう。審査にあたった規約人権委員会の委員たちは、刑事手続きの現実を理解していない、といわざるをえない。

  4. 総括

     日本政府は、いまだ第1選択議定書を批准していない。その理由は、司法権の侵害になるといって最高裁判所が反対しているとか、個人通報が認められると、自白を偏重した日本の刑事手続のコアーな部分が国際的に批判にさらされることを法務省が恐れ反対している、とか言われている。
     メルボルン事件は、選択議定書の批准のための運動にまぎれもなく、一石を投じた。個人通報は、大変残念な結果となったが、日本人として初めて個人通報を行った意義は大きかった。
     また、弁護団が結成され個人通報が行われ、事件が日本のマスコミに大きく取り上げられたことにより、仮釈放の直前ではあったが、日本政府は、日本人3名に対し、オーストラリア政府に釈放要請することを決めたとの連絡が弁護団に入った(もっとも、無実が証明されなければ、釈放されても意味がないと3名は固辞)。また、何よりも、この事件が「麻薬の運び屋にされた日本人」とし紹介されたことにより、国民にえん罪として理解されたことは、意味があったと考えている。

    (報告者 弁護士 田中俊)